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林業 de 話そ

近代日本の林業

​第一回

近代日本の林業をざっくりまとめながら林業の用語を少しだけ覚える回(未完)

 今年は明治150年です。嘘です、令和元年です。

​ 明治から昭和の日本には、ハゲ山が150万haもあったそうです。陸上競技場が大体1haだとどっかで聞いたことがあるので、陸上競技場150万箇所分になります。壮観ですね(白目)。

だから土砂災害とか水害とかすごかったんですって。  ちなみにハゲ山ってのは木がなくなっちゃった山ね。

 徳川家が政界引退した翌年(明治2年)の版籍奉還、明治4年の社寺上地によって、藩(今でいう都道府県的な)の森と、お寺や神社の森が、政府のものになりました。国有林の誕生です。

 明治30年に保安林制度を創って、伐採(木の収穫)しすぎないようにしました。明治32年には国有林野法ができて、荒れ地に樹を植えよう大作戦が始まります(正しい名称は国有林野特別事業です)。

 さて、保安林ですが、説明が長くなるので、別記事にまとめます。

 大正4年、保護林設定ニ関スル件なるものができ、貴重な植生(草木がある自然環境)の保護の取組が始まります。

ちなみに、この頃の国有林、農林省山林局、宮内省帝室林野局、内務省北海道庁が管理してました。バラバラで難しいですね。政府もバラバラに管理しているのは難しいと思ったのか、昭和22年に林野庁の一括管理になります(林政統一といいます)。

 

 木材の消費に関しては、明治では枕木(線路のレールの下に敷いてあるやつ)、マッチの木の部分、木炭としての消費が多かったらしいです。また、クスノキから採れる樟脳という成分が、当時のおもちゃとか文房具に使われるセルロイドの原料になって、その消費も多かったとのこと。ピーク時は8000万㎥も伐採されました。8000万㎥つったらナイアガラの滝を79時間ぐらい流しっぱなしにしたときとほぼ同じです。いやーナイアガラの滝…見たことないですね。

 昭和初期に伐採量は5000万㎥まで落ち込みますが、戦争(1937-1945)が始まって需要と焼失がマッハ。日本の森林は荒廃してしまいました。

コンクリート製の枕木  熱田神宮境内のクスノキ

​そのうち追記!

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